乳がん闘病記

ペチャンコ胸のデビュー

告知


2007年4月3日

予約を入れてもらった大きい病院へ。
ここまできても半信半疑だった私は、お気楽なもので「パッと」検診を済ませて「 ササッと」帰れると思っていました。
担当の先生はとても丁寧な対応で、持参したエコーの写真やマンモの写真を視ながら「先生(近所の医者)も心配してくれてますヨ。ここで詳しく検査してみましょうネ」と言い、一応触診もしてもらい「がんには間違いなさそうです。でもリンパには転移していないようです。」という答えが返ってきました。
結局、1週間後にこの病院で再検査の予約をし、この日は帰宅。




2007年4月10日

午後から「マンモグラフィ」「エコー」「CT」を受診。
この時は右の痛みもなくなっていたので、初めて右胸の「マンモグラフィ」を撮影。左右合わせて8枚の撮影になった。
「エコー」は左右の胸はもちろん腋も調べられる。片方の検査時間は30分ほど。
「CT」は最初に造影剤(ヨード)を注射。すぐに全身が熱くなるのがわかる。技師の説明に従って息を吐いたり止めたり。撮影はベッドが勝手に動きレーザー光線の様な光が身体にあたっているのだけわかります。左右両方の胸を細かく調べられたけど、どの検査もだいたい30分~40分くらいで終わり、外来受診へ。

結果はすぐに出た様なのだが、先生が「念のために細胞診組織診もしてみます。右も変わった形が視られるし、左にもあやしいのがあるようです。」
変わった形?左にもあるの?もうこれからは頭の中が「」だらけ。
しかし診察ブースの中のベッド脇にはエコーらしきマシンと細胞診に使う道具、組織診に使う道具と次から次へ用意され、患者の私は「まな板の上の鯉」状態です。
この2つの検査は時間がかかりました。この間、頭の中で数曲歌が歌えてた様な…。
診察室を出ると、次の患者さんが待ってて「長引いて申し訳ありません」とひとことお詫びを言い、外来会計へ向いました。
この日は何だかんだで、病院に4時間くらい滞在(?)していました。




2007年4月17日

午後一の予約だったので、病院内で1人お気楽に昼食を済ませて(まだ、この期に及んでも「乳腺症」と結果が出るものと思っていた)外来待合室へ。

名前を呼ばれ診察室へ入り椅子に座ると、担当の先生は「残念ですが、最初に(近所の)先生が出した答えと同じでした。それも非常に珍しく100人に2~3人の割合で同時にできる左右両方です。」
この言葉を聞いたとたんに、「はあ~?ウソでしょう?私ががん?左右?」という文字がグルグルと回り始め、そこから先生の言葉は聞こえてはいるけど、頭に入ってきません。「顔や態度は平静を保とう。取り乱しちゃダメ!」と言い聞かせながら、がんの症状、クラス、浸潤度、リンパ転移有無、他臓器転移の有無等の説明を聞いていました。

右に関しては先生からも「申し訳ないけれど、全摘しかないですネ」と言われ、何となくどこかしらで覚悟していたのだと思うほど「わかりました」と答えていました。
左は先生に「温存という方法もあるけれど、どうしますか?」と聞かれ「全摘にしてください!」と即答しました。人間の脳っておもしろいもので、頭の中が真っ白の状態の時って「早くこの時間が過ぎてしまえ!」とか「後の事は後でなんとかなる!」思うのか、迷いもせずに「全摘」を選んでいました。
先生は、この日入院日時を決めれば5月の連休前に入院・手術ができますヨと言ってくれたのですが、やっぱり1度主人と相談して決めたかったので、19日に再度来院する事にした。ただ、これからの事を考えると主人には申し訳ない思いでいっぱいでした。




2007年4月19日

この日は、動揺して1人じゃまともに話が聞けていないかもしれないという事で、実姉が病院まで同行してくれた。先生も17日と同じ説明を再度してくれて、姉や私からの質問にも丁寧に答えてけれました。私も2日経って事実を受け止めだしたのか、付き添いがいたから気が大きくなったのか、この日はがんの症状や手術の方法、術後の事などしっかり聞きました。

右は妙ながん細胞で【浸潤性乳管がん】ではあるけれど3cm程の大きさで、アンパンに例えるなら「パン」の部分は生きているがん細胞、「アンコ」の部分が死んでいるがん細胞(石灰化です。)主治医の先生はこのがんに“アンパンがん”と名付けました。

左は【非浸潤性乳管がん】で転移もしない比較的おとなしいがん細胞だという事。
結局どちらも「乳がん」にはまちがいなく、手術をする事になりました。ここで左に関して「全摘」か「温存」かの選択肢を与えられ、(右は乳頭近くで大きさから全摘しかなかった)結局、右と同じ「全摘」を選びました。これは主人と話合い「命が大切」。生きていれば何とかなるという結論を2人で出した結果でした。

こうして「5月11日入院14日両胸全摘手術、入院約2週間」というスケジュールが決まりました。
このあと手術前検査という事で、血液検査、心電図、レントゲン撮影を済ませ家路へ。




入院前日まで

2007年4月19日に「がん治療」のスケジュールが決まってからは、両親はもちろん、姉妹、知人への報告が待っていました。
一番気が重かったのは、周囲への報告でした。「ありのままを伝えるしかない」と解っているものの「ショック受けるかなあ~」「慰められるかなあ~」と思っていると、本当に気が重かったです。
それでも報告を受けた皆さんから「気をしっかり持っていれば大丈夫!」「負けない!っていう気持ちが大切ヨ」と励まされ、一人じゃないんだなあ~と感謝しました。後々この言葉がどれほど大きな励ましになったか思い知らされました。
ただ、両胸を全摘する事を選んだと言った時は、「もう少しゆっくり考えて答えを出してもよかったンじゃないの?」とは言われました。でも5年10年先の事を考えると答えはすぐ出てきたし、「どうしよう…と考えても同じなら最初に出した答えを優先」するのに変わりはなかった。

入院までには連休も含め20日間程あったので、知人と会ったり、体力をつけるため(?)美味しいものを食べたり、入院生活に必要なものを揃えたりとでアッという間もなく過ぎていきました。
でも2007年のゴールデンウィークは「連休明けには入院かあ~」と思うと何とも言えない日々でした。


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ビーズで作ったピンクリボン

ブログも公開中です。

術後の治療報告はこちらからどうぞLinkIcon

付録

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病院食メニュー一覧
27日間の入院中に、
病院で食べた食事を掲載しました。

食事メニューへLinkIcon

付録2

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治療費はいくらかかる?
発覚した時から2007年12月末日までに、支払った費用を掲載しています。

2007年度の経費LinkIcon

付録3

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2008年の治療費

2年目の治療費を掲載しました。

2008年度の経費LinkIcon