入院生活1
入院
2007年5月11日
主人の運転で姉と3人で入院受付へ。
事前に渡されていた、入院証明書や緊急連絡先などを記入した書類を渡しいざ2週間お世話になる病室へ。
荷物を整理していると担当の先生が「もう1度左胸に気になるところがあるのでエコーをかけます。」との事。がん細胞なのか脂肪の固まりなのか解らない所があり、もし脂肪の固まりなら「温存」できるかもしれない…という事でした。
確かに左には小さな影がいろんな所に点在していました。
早速エコーをかけてもらいまたまた細胞診。この結果次第では14日の手術内容や時間が大きく変わってきます。でもこの時は既に「がんに違いないだろうなあ」と思っていました。
検査終了後、担当の先生から手術の方法、術後のリハビリ、術後治療等の説明を受け、病室へ戻りました。
同室には子宮がんの患者さん3人と中学生の女の子が4日前から入院していました。子宮がんの患者さんは50代・60代の方で随分前から入退院を繰り返しているとのお話。
この週も抗がん剤点滴などを受けるために1週間の入院で、12日には3人共退院されて行きました。1日だけのおつき合いでしたが、この日病院内の事や入院生活の事を詳しく教えてもらい助かりました。また、場所は違っても同じがん患者同士なので今後の事(抗がん剤の副作用や生活で注意する事、気持ちの持ち方など)を伝授してもらいました。この時聞いた話が現在とっても役立っています。生まれて初めての入院生活がこうしてスタートしました。
2007年5月12日
昨日の夜はよく眠れなかった様で、起床時間を過ぎても眠っていた。
結局起きたのは7時。(病院の起床時間は6時でした)8時から朝食なので、その前に洗顔などを済ませる。普段家にいる時はパン食だけど朝からしっかり和食が出されました。以外にも完食。
土日は検査などもないので何もする事がなく、外出許可をもらい姉と渋谷へ。病院じゃ絶対にでてこないであろう「パエリアランチ」を食べてその後上野の美術館へ。
気分転換にはなったけど、1人で病院へ戻る時初めて「ドヨ~ン」と落ち込む。(渋谷や上野の買い物客を見たら、なんだか自分とは違う世界にいる華やかな人達に見えてしまった)
病院へ戻り、手術に必要なものを(詳しくは手術のページで)売店で購入し部屋に戻ったら義妹Yちゃんがお見舞いに来てくれてた。
心配してくれてると解るので、あえて病気の話や手術の話はしなかった。Yちゃんからも「両胸全摘をよく1人で即決しましたネエ」と関心された。「ウン。結局自分の身体の事だからネ」と答えた。
ただ術後の傷跡は「ハの字を逆さまにした形で1本線なんだよ」と教えたら「円形じゃないんだ」とビックリしてた。何を隠そう、私も最初はそう思い込んでいた。(大根の輪切りじゃあるまいし…。ハズカシ!)
2007年5月13日
いよいよ明日は手術。連絡した皆さんから励ましのメールがたくさん届いていました。頑張りますメールを打ちたかったけど肝心の充電器を忘れ、主人に届けてもらい、ようやくメール打ち完了。
「 手術前日なので必ず入浴してください」と看護師さんに言われ、お風呂を予約。この時は術後4日間程お風呂に入れなくなるとは思ってなかったし、時間も1人30分と決められていたこともあり身体だけ洗う事にしました。
明日1日は何も食べられないと言ったからなのか、主人と姉が夕食のおかずをたくさん買ってきてくれて豪華なDINNERになりました。
夜9時以降は何も食べられず、12時以降は水も飲んではダメというお達しもきたので、50年共に生きてきた自分の胸にお別れを言い導眠剤を飲んでサッサと眠ることにしました。
2007年5月14日
朝9時から手術のため、8時には手術着に着替え、足には弾性ストッキング(血栓予防のため)を履きお迎えを待つ。
しっかり歩けるけど、手術室までは車いすで向いました。到着すると車いすからストレッチャーに乗り換え、順番待ち。
手術室は月曜朝一番の手術を受ける患者さんでいっぱい。ストレッチャーのラッシュです。それぞれの手術を受ける部屋へ順番に看護師さんが連れていってくれます。
私はストレッチャーに横たわっているものの物珍しさもあってキョロキョロ周りを眺めていました。そしていよいよ手術を受ける部屋へ運ばれていきました。
(手術前の様子や内容は「手術」のページで)
病室へ戻ると、口には酸素マスク、足にはフットマッサージャーを着けられ明日の朝まで寝たきり状態です。
手術で一番気になっていた「リンパ節廓清」の有無を担当の先生が教えにきてくれたけど、それすら憶えていないくらい「全身麻酔」が効いていました。
ただ、酸素マスクに溜まる湿気で鼻のあたまがかゆくて掻くと何度もマスクが外れてしまい、その度に付き添いの姉から叱られていました。ベッドに横になっているだけなのに喉も渇き、唯一のうがいが口の中を潤せました。
「全身麻酔」と「硬膜外麻酔」が効いているので眠くてしょうがないけど、20分おきくらいに看護師さんが血圧と体温と指に挟んで血中酸素を看る機械(?)を取り付け計るので、ゆっくり寝てもいられなかった。(この事は入院初日に同室になった方々が誰しも言っていた「手術から戻ったらなかなか眠らせてもらえないヨ~」と)
結局この日は姉が面会時間の終わりまで面倒を看てくれていた。
2007年5月15日
朝目が覚めると、採血と尿検査。
手術の麻酔(全身麻酔と硬膜外麻酔)の影響からなのか、朝から吐き気。 加えて頭がボーッとしているので看護師さんの言葉も聞き取れない。
身体中にもいろんな管がついてい不便。ドレーンバッグ1個、尿カテーテル、硬膜外カテーテル、点滴。
朝10時ぐらいに尿カテーテルが外され、ようやく手術着からパジャマへ着替えられました。この時、ホットタオルで看護師さんに背中と腕を拭いてもらいサッパリ。
その後胸部レントゲン撮影。手術痕も見たけれど「こんなもんかあ~」と思う程度。両胸全摘だったのが、左は温存の様な形に。
後で先生に説明してもらったら「開けてみたらそれらしくない細胞だったため、術中迅速診にまわしました」という事で結果待ちの状態になりました。
結果がでるのは4~5日後という事で「このままの状態だったいいなあ~」と微かな期待。
体調は最悪で朝食で重湯とフルーツが出されたけど、重湯を少し飲んだだけで戻してしまった。結局夕方まで吐き気との闘い。手術の痛みより吐き気の方が大変。昨日から何も食べていないのに、どういう訳か緑色の液体を戻し、エクソシストのヒロインになった気分です。
2007年5月17日
昨日点滴も外れたので、シャンプー台でシャンプーだけする事に。
本当は看護師さんに頼めます。でも「これもリハビリだ!」と思い何とか1人でやってみる。右腕に力が入りずらく、少し力を入れると痛みも。隣に置いてある洗濯機に水を飛ばし、 他の患者さんに「1人で大丈夫?」と言われ「何とかやってみます!」とは言ってはみたもののやっぱり大変!少々雑な洗い方だったけどなんとか1人でシャンプー完了。
点滴が外れて歩く事にも不自由さがなくなったので、健康体の時と同じ様に病棟を歩いていると同じフロアの入院患者さんから「お元気そうだけど、どこがお悪いの?」と聞かれる事がしばしばありました。
婦人科系手術や内蔵手術をした方は、しばらくは歩くのにも一苦労されるらしい。確かに歩いても手術した所にひびくような事はないし、いたって普通です。
ただ胸に鉄板が挟まっている様な妙な違和感はありますが…。
夕方になってドレーンバッグも外され、身体から全ての管が抜けました。ドレーンバッグ用の赤のギンガムチェックポシェットをお洗濯してナースステーションへ返却です。
2007年5月18日
昨日、全ての管が抜けたので「全身シャワー」の許可がでました。
傷口全てに防水テープを貼ってもらい、お風呂場に。1週間ぶりのシャワーだったのでサッパリ。
そしていよいよリハビリ開始です。リハビリ室で、20分程度傷口から肩にかけて「ホットパック」というもので温めて、その後療法士の下で右腕のリハビリが進められていきました。リンパ節廓清していないにもかかわらず、術前とは明らかに腕のあがり方は違いました。
最初はこの事でも「前とは違う身体になっちゃたなあ~」と落ち込んだりもしましたが、徐々に腕も挙るようになって来たし、療法士さんからも「日常生活には支障がないでしょう」といわれるまでに回復していきました。何より術前にもらった励ましのメールが、こんな事で落ち込んでいられないという最大の武器(?)になりました。
2007年5月21日
術後1週間経過したので、朝から採血と尿検査。
右腕の調子も少しではあるけれど挙るようになってきました。(病室でもヒマがあるとリハビリに励んでいました)
この日の夜、左胸の術中迅速診の結果が出た。
最初の診断と同じでやはり「 がん」には間違いないという事でした。ちょっとだけ期待していたのでガッカリ。
主治医の先生から、
ア 全摘出手術
イ 温存手術+放射線照射+内分泌療法(ホルモン治療)
ウ 現存のままで放射線照射+内分泌両方(ホルモン治療)
という3つの選択肢を提示されたけど、後々のリスクを考えれば先生も薦めてくれる「全摘」を選びました。
この段階では3つの選択肢共に抗がん剤治療(CMF)が含まれていました。(これが一番イヤな治療だと感じていました)
返事は明日でいいと言われたので、主人ともう1度説明を聞いて決める事にしましたが、結果が出る前から2人とも「全摘」を選んでいました。
ただ、あの吐き気との闘いにはウンザリだったので28日の再手術には硬膜外麻酔はしないことをお願いしました。
ちなみに放射線照射は6週間毎日通院、ホルモン治療は5年間という事を言われました。
2007年5月25日
手術をした右側に「水」(といっても排出されるべき液体)が溜まっているようで、そのせいか2~3日前から痛みがでてきていると伝えたら、この日の朝から「水抜き」をされました。やぱっり少し多く溜まっていたみたいで、抜かれた後に痛みが出ることはなくなりました。
傷口の防水テープも全て取られ先生から「湯船につかっても大丈夫ですヨ!潜っても大丈夫!」と冗談も言ってもらったけど、どうも心配で1日様子を見ることにした。(様子見って素人の私がわかるわけないのに…。)
少しずつではあるけれど良い方向に進んでいるんだなあと実感していました。
2007年5月27日
いよいよ明日2度目の手術。最初の時より全てにおいてシュミレーションができるので、恐怖心と不安で1日中「ウワの空」。
仲良くなった看護師さん達からも「明日の方が緊張するよネ。でも、頑張って1つ1つクリアしていきましょう!」と励まされる。心強い味方です。
2度目は硬膜外麻酔なしを決めたけど、本当に大丈夫なのかもう1度聞いてみましたが「手術時間も短いのでなくて大丈夫でしょう」と言われひと安心。
気持ちを最初に切り替えて、もう1度頑張ろう!と決めました。