入院生活2
引き続き入院
2007年5月28日
今回の手術は午後からなので、午前中から術前点滴を受ける。(朝食は食べられません)
この点滴をつけた状態で、午後1時30分過ぎ1回目と同じように車イスで手術室に向う。この日は主人も仕事の都合をつけてくれ、姉と一緒に手術室前まで見送ってくれました。
前回と比べると午後の手術室はガラ~ンとしていて、すぐにストレッチャーに乗り移ると手術部屋へ運ばれて行きました。
術後、麻酔からの目覚めはハッキリしていて病室に戻った時は主人や姉の問いかけにしっかり答えていました。
でもハッキリ意識が戻ったせいで、背中の痛みが激しいのと足に着けてあるフットマッサージャーが気になって一晩中眠れませんでした。マッサージャーは夜中外してもらえたけど、背中の痛みは寝返りができない痛さからきているので看護師さんがロングクッションを持ってきてくれるけど、身体を横にするとドレーンバッグの管があたり、痛くてどうすることもできずに一晩我慢することにしました。ただただ時間が早く過ぎていけばいいのに…と思いながら。
ちゃんと眠れたのは、この日は3時間くらいだった。30分ウトウトしては背中の痛みで目が覚め、1時間くらい目をつぶってみるものの時計の針は全くと言っていいほどすすんでいなかった。
この日が、入院中一番つらかった。(背中の痛み、ドレーンの痛み、麻酔切れで眠れないの3重苦!)
2007年5月29日
前回同様、尿カテーテル、点滴、ドレーンバッグが身体に着いている。
尿カテーテルは朝抜いてもらえたけど、相変わらず2つが邪魔でしょうがない。
朝ようやくベッドの頭の部分を上げてもらい、起き上がることができた。
手術の傷口より背中の痛みがこんなにつらいとは思わなかった。前回は硬膜外麻酔が効いていたためその痛みさえ感じられなかったと再認識。恐るべし「麻酔(とういうか麻薬)」。
少しぐらいの痛みは我慢!と思っていたけれど、やっぱり痛い。吐き気はないけどその分痛さで眠れないのも困ったものです。
今回の方が「鉄板で挟まれている感じ」が強く、違和感がものすごく感じられる。
ベッドから起き上がるのも、脇の柵につかまって上半身を起こすけれど、上体を起こしたとたんに、胸全体が重~く感じる。
この違和感はだんだんなくなってくる事を担当の先生から聞いたけど、慣れるまでは、なんとなく変なかんじです。(そりゃそうだ!今まで経験した事のないものをしっかり体験しているんだから…。)
夕方、気を抜いたのか2回目という事で慣れが出てたのか、手術した左腕を動かしすぎて、ドレーンバッグに入るべき液体が縫合したところから出てきてしまい大騒動に。
当直の先生に応急処置をしてもらったけど「傷口は48時間経たないとくっつき始めませんので、あまり無理して動かさないようにしてくださいネ」と気をつけるように言われてしまいました。
2007年5月31日
ようやくこの日ドレーンバッグが抜けました。今回はドレーンの管が痛かったのでようやく楽になりました。
左は右に比べると腕が挙りにくい。手術範囲が違うのか摘出範囲が広い様に思える。利き腕ではないから少しは安心だけど、リハビリは右同様に頑張らないといけないなあ~。
明日から担当の先生は海外出張、研修医の先生はローテーションのため受け持ち科が変わるという事で、代理の先生と新しい研修医の先生がご挨拶に。
この後のスケジュールはリハビリだけなのでいいんでしょうが、最初から診てくれていた先生2人がいなくなると少々不安でした。5日間何もないことを祈りつつ入院生活を過ごしました。
(結局、5日間は何事もなく無事に過ぎていった)
2007年6月6日
いよいよ長かった入院生活にサヨナラする時がきました。
海外出張から戻った先生に最後の傷口の処置をしてもらい、この後の外来受診日を決め、ようやく家路へ。
家に到着し、荷物の整理が一段落したところで最初にした事は
今まで使っていた「ワイヤー入りブラジャー」を全て捨てた。
さほど大きくもない胸を「寄せて上げてた」もので、お気に入りだったけど、“用なし”になってしまった。
どちらか片方でも(っていうか左側を)「温存」というかたちをとっていれば、捨てずにすんだかもしれない。
そう思うとたまらなかった。でも、自分で選択した事だから…。
これからしばらくは「前開きアンダーシャツ」がブラジャー代わりに。
これが「現実」です。